>>> 越えられない壁 >>>




お目汚し、失礼いたします。



30代の初め、交際中だった女性とファッションホテルへ行ったことがございます。
週末の夜をHで楽しもうということで
夕食を終えたあと、車で都心に有る真新しいラブホへ参りました。



今でもそうなのかもしれませんが
そのホテルはフロントのパネルを見て気に入った部屋の番号のボタンを押し
その部屋に入るというシステムになっておりました。
週末ということもあって、ほぼ満室状態でございましたが
一つだけ空いている番号がありましたので、その番号のボタンを押してから
私たちは部屋へ向かったのでございます。



彼女も私もお互いに気心の知れた深い仲にまでなっておりましたので
変に興奮したり不安になったりということもなく
その日は楽しいオトナの夜を過ごせるはずだったのでございます。
ところが部屋に入って奥へ進んだとき、見たくないものと申しましょうか
見てはならないものが、二人の視界に入ってしまいました。

続きを読む

クルマ離れ




お目汚し、失礼いたします。



最近の若い衆は、車に乗らないそうでございます。
長引く不況で経済的な負担を避けることが肝要とされている昨今
イニシャルコストもランニングコストも高くつくクルマは
高嶺の花を通り越して敬遠の的となっているのでございましょう。
またクルマ以外に若者の趣味の幅が広がったことや
交通事故を起した場合の責任の重大さ
駐車場の確保の難しさや公共交通機関の充実など
若者のクルマ離れにはネガティブな、あるいはポジティブな要因が
いろいろと作用しているようでございます。



私どもが若い頃は、クルマは一種のステイタスシンボルでございました。
たとえそれが中古の軽自動車であっても、でございます。
私が大学生だったとき、バイト先の同僚で
クルマを持っている男子学生がおりましたが
やはりバイト仲間からは一目置かれているようでございました。
で、そんなある日の昼休み
たまたま私が彼と2人だけで食事に出かけることになり
しかも彼のクルマに乗って行くということで
私たちはバイト先の会社の駐車場へ向かいました。
彼は自分のクルマを使ってバイト先に通っていたのでございます。



クルマは銀色の普通乗用車で、中古か新車か、ちょっと見にはよくわかりません。
そのクルマに乗って私たちは、バイト先から少し離れた場所にある
ファーストフードの店へ行きました。得意げに運転する彼の隣の助手席で
私はさながら腰巾着か幇間のように
しきりにクルマを褒め、彼の運転技術に感心し
それに対して彼も上機嫌でございました。



やがて和やかな雰囲気のままクルマはファーストフード店に到着し
付設の駐車場に停まりました。私はドアを開けて出ようとしたのでございますが
このときウッカリしてドアを大きく開け過ぎてしまい
駐車場のコンクリート塀にドアの端が軽く当たってしまったのでございます。
それを見るやいなや、運転席側にいた彼は「 あ゛━━━!!!」という
唸り声とも悲鳴とも区別のつかない声を上げ
アクション映画の俳優並みの颯爽とした動きでクルマの前を回り込み
ドアのそばにしゃがみ込むと、まるで目玉をこすりつけるかのように顔を近づけ
当たった箇所を凝視しておりました。



さいわいなことに傷は付いていなかったのか
それともほとんど傷と呼べるほどのものではなかったのか
あるいは傷は付いていたものの渋々不問に付したのか
そのあたりはよくわかりませんが、ぶつかった箇所をしばし凝視した後
彼は自分で助手席側のドアを閉めると
無言でファーストフード店の方へ向かいました。
とりあえず私は彼に謝りましたが、ファーストフード店に入ってからも
彼と私の間には実に居心地の悪い空気が立ち込め
まったく口を利かないまま食事を済ませることになってしまったのでございます。
もちろん割り勘でございました。



それ以後、ドアを塀にぶつけた私に対して
彼が弁償を要求するような言葉を口にすることはございませんでした。
と申しますより、彼が私と口を利くこと自体、二度となかったのでございます。
そしてこのときの体験が元となり
私は他人様の車に乗るときは胃が痛くなるほど神経を尖らせるようになり
カーマニアの人間とは距離を置くようになりました。



若者のクルマ離れの原因として「 人間関係が損なわれる 」ということも
当然あってしかるべきではないかと存じます.....






相対性社訓




お目汚し、失礼いたします。



私が若い頃、仕事の関係で或る会社の事務所を訪問した時のことでございます。
社訓を墨書した紙が額に入れて壁に飾ってありました。

知恵ある者は知恵を出せ
知恵無き者は汗を流せ
それさえできない者は去れ


という、よくあるパターンの文言でございます。



当時は、その社訓が有する語呂の良さに感心すると同時に
仕事に対する厳しい心構えや会社組織の非情さを思い知らされ
なにやら身の引き締まるような思いをしたものでございます。
で、この社訓、さきほどググってみましたら
相対性理論を生み出した物理学者、アルベルト・アインシュタインの

知恵のあるものは知恵をだせ 知恵のないものは汗をだせ

という名言が元になっているようでございます。



天才科学者の名言を拝借して
ビジネスマンを戒め、鼓舞する標語を作ってしまうところは
いかにも仕事熱心な我が国の国民性を如実に物語っているといえましょう。
私のようなヘタレには、こういった社訓、耳に痛いことこの上もございません。
汗も出せない私にできるのは、せいぜいアレを見せることぐらいでございます。



表現や言い回しに多少の違いはございますが
似たような文言を多くの企業が社訓として掲げているようでございます。
まともな企業なら、まぁそれもよろしゅうございましょうが
いわゆるブラック企業と呼ばれる会社では、「 去れ 」ではなく
臓器を売れ 」などと記して額に飾ってあるやもしれません.....






今そこにある痛み




お目汚し、失礼いたします。



米国にはCIA、DIA、NSAなどの情報機関を束ねる
国家情報長官室という役所があるそうでございますが
その役所が最近発表した報告書によれば
2040年までに世界的な水不足による紛争や経済的混乱が起きる可能性が
あるとのことでございます。
人口増加と経済発展による水への需要の増加
そして地球温暖化による水の供給量の不足が、そういった由々しき事態を招来し
特に南アジア、中東、北アフリカといった地域の国々が
深刻な影響を受けるそうでございます。



2040年などと申しますと、何やらまだまだ先のことのように感じられますが
ほんの28年も経てばホレ、すぐそこでございます。
また、わが国がどれほど水不足になるのかはよくわかりませんが
仮にたいしたことはないにしても、今のような青息吐息の経済情勢が続いていれば
水不足による世界的な経済不安の影響を受けたとき
わが国の国内経済はひとたまりもないでしょう。
おまけに最近は中国人が日本の良質な水資源を買い漁っております。
世界的な水不足が本格化した時、連中がどんな行動をとるかは想像に難くありません。



ともあれ、そういったマクロ視点での危機予測はさておき
このニュースを聞いて私の頭に真っ先に浮かんだのは
尿路結石という病気のことでございます。
この病、水の摂取を怠ったり、摂取量が少なかったりすることにより
腎臓、膀胱、尿管などにおいてカルシウムやシュウ酸、リン酸などを成分とする
石のようなものが生じ、激痛をもたらす病気でございます。
いわゆる死病の類ではないのでございますが
その激痛たるや悶死するかと思われるほど苦しく辛いものでございます。



私もかつてこの病を患い、死にそうなくらいの苦痛を味わいました。
一般的には「 刺すような痛み 」だそうですが
私が経験したのは脇腹や下腹部に高層ビルがのしかかってきたような
重苦しい痛みでございました。あまりの痛みに歩くこともできず
処女の新妻が初夜の営みにおいて破瓜の痛みに耐えるがごとく
両手で布団をかきむしり、ベッドの上で七転八倒しておりました。
幸い、石の大きさが小さかったので鎮痛剤の服用で痛みを抑えたのち
水分を大量に摂取し、利尿剤を服用することによって
石を外に出すことに成功いたしました。
もっともそれまでに約3年ほどかかりましたが。



この疾患に罹る割合は女性よりも男性の方が多いそうでございます。
世界中が深刻な水不足に陥ったならば
地球上のいたる所で、この病に犯された男どもが呻き苦しみ
のた打ち回る光景が見られることになりましょう。
この病気の恐ろしさを知っている私としては、とても他人事とは思えません。
地域紛争や経済的混乱はもちろんでございますが
男性諸氏が尿路結石の激痛を味わうことがないように
わが国や諸外国の政府は、将来起こりうるであろう水不足の対策に
本腰を入れてもらいたいものでございます.....






子供の領分




お目汚し、失礼いたします。



先週の火曜日のことでございました。
とあるパチンコ店の前を車で通りがかったところ
着ぐるみ姿の店員らしき者が、踊ったりポーズをとったりと
何やら客引きのためのパフォーマンスを披露しているのを見かけました。
ピンク色のウサギと思しきその着ぐるみは
ユーモラスで可愛らしゅうございましたが、同時にチョット違和感を覚えました。
いわゆる「 ゆるキャラ 」なるものがすでに市民権を得ており
最近のパチンコ店が、以前と比べれば格段に女性客が入店しやすい
という雰囲気になっているのは確かでございますが
ウサギの着ぐるみというのはいささか幼稚な印象を受けてしまいます。



当のパチンコ客にしてみれば、どうということはないのかもしれませんが
パチンコをほとんど嗜まない私のような者にしてみれば
仮にも年齢制限が設けられている大人向けの店のアトラクションに
着ぐるみが登場するのは何やら戸惑いを感じざるをえません。
ソープランドやラブホの前で、ネコやパンダの着ぐるみが
客引きをしている姿を御想像いただければ
その違和感がよくお分かりいただけるのではないかと存じます。
まぁ、キノコやアワビの着ぐるみが、奇妙なダンスや卑猥なポーズで
パフォーマンスを演じているというのなら話は別でございますが。



こんなことをとやかく申し上げるのは、私の頭が固いからに過ぎず
非常にイタイタしいことなのかもしれません。
しかし昨今、世の中全体が幼児化しているような気がしてならず
たとえばテレビ番組で若いタレントが自分の親のことを
「 おとうさん 」「 おかあさん 」と申しているのを見聞きいたしますが
肉親や気心の知れた親戚に向かって申すならまだしも
公共の電波を通じ、不特定多数の人間の前で
自分の親のことをそのように呼んでいる神経が、私には解せません。
なぜ「 うちの父親 」とか「 私の母親 」と呼ばないのでございましょう。



また言葉の使い方について申せば、以前こんなこともございました。
私がとある工事現場の前を通りかかった際
現場の作業員で私と同年代ぐらいの中年男性が
「 ちょっとウンコをしてくる 」と仲間の作業員に告げて
仮設トイレの方に向かうのを目撃したのでございます。
イイ大人が「 ウンコ 」と人前で申すのは場違いな感じがいたしますし
ガテン系の職場だからじゃね? という御指摘もございましょうが
それなら「 ちょっとクソを垂れてくらぁ!」「 今からババこいてくるぜ!」と
力強くて威勢の良いレトリックを使うはずでございましょう。



こういったことが、風俗店の営業スタイルや巷の日常会話での話でとどまるのなら
よろしゅうございますが、もし政治・経済・文化の各分野において
さような傾向が深く浸透しているのならば憂慮すべき事態と申せましょう。
もっとも、私のように五十路になっても厨房並みの事を書き綴っている輩が
そのような警鐘を鳴らす立場にないことは重々承知いたしておりまするが.....






健全なる慣わし




お目汚し、失礼いたします。



ちょうど一週間前の5月13日は母の日でございました。
各地のショッピングセンターや百貨店では、関連のイベントやセールが
さぞかしにぎやかに催されていたことでございましょう。
生花店ではカーネーションの売り上げがグンと伸びたのではないでしょうか。



この母の日でございますが、米国の社会運動家アン・ジャービスを追悼した
集まりや行事がきっかけとなって生まれたようでございます。
アン・ジャービスは公衆衛生の改善や南北戦争後の平和運動などに尽力した女性で
1905年に亡くなっておりますが、彼女を追悼する集まりや行事の催された日が
5月の第二日曜日だったそうでございまして
またその際に彼女が好きだったとされる白いカーネーションが
彼女の娘のアンナによって配られたのが
今日の母の日の慣わしにつながっているとのことでございます。



アンナは彼女に賛同する人々とともに提案や働きかけをおこない
その結果1914年、母親に感謝の意を表わすための日を「 母の日 」として
5月の第二日曜日に充てることが米国で制定されたそうでございます。
しかしやがてこの「 母の日 」は今日において見られるような
商業的イベントの開催日のようなものと化していき
それはアンナにとっては不本意なことでございました。



母親に感謝するというおごそかな日が商業化の波に曝されるのは
その日を作ることに深く関わっていたアンナにとって耐え難いことだったらしく
商業的色彩の濃くなってしまった母の日に憤慨したアンナは
訴訟を起すなどして、そのような動きを阻止しようといたしますが失敗に終わります。
ときにはかなり過激な行動に走ったようでございますが
結局彼女の意図は空回りに終わり、今日に至っております。



高い理念や神聖な思いが商業化されるのを苦々しく思う気持ちは理解できますし
そういった事例は枚挙に暇がございません。
しかしあえて申し上げますが、私はそういった商業化のすべてを
否定したり拒絶したりするつもりはございません。
母親への感謝を表わすのならば、どのような形でもよろしゅうございましょう。
カネのある者はカネを使い、そうでない者はささやかにおこなえばいいだけのこと。



少なくとも、聖バレンタインや聖ニコラウスを出汁にして
オトコをキープしたり、ハメハメをもくろんだりするよりかは
健全なはずでございます.....



母の日 ( ウイキペディア )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E3%81%AE%E6%97%A5

「母の日」、その起源と反対運動 ( ナショナルジオグラフィック ニュース )
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20120514002&expand#title






暗転




お目汚し、失礼いたします。



東京の方で物騒な殺人未遂事件が起きたようでございます。
幸い犯人は捕まっているものの、近ごろ何ヶ月かに一回
決まってこのような事件が起きている気がしてならず
なにやら背筋に寒いものを感じます。



三日前の5月21日、東京の地下鉄の駅構内のエスカレーターにおいて
肩がぶつかったというトラブルが原因で
32歳の男が53歳の男性を殴打したうえに
護身用として持っていたサバイバルナイフで切りつけ、逃走いたしました。
53歳の男性は首と脇腹などに傷を負い、重傷でございます。
不特定多数の人間が行き交う場所でのこの手の事件は
もはや珍しくない御時勢となってしまいましたが
それでも、犯人が刃渡り30㌢もあるような刃物を
「 護身用 」と称して持ち歩いていたことには、あらためて戦慄を禁じえません。



ところで警察は、犯人が映っている防犯カメラの画像を早々に公開し
それを見た人からの通報によって、比較的早い段階で
犯人の居場所を特定していたようでございます。
そして昨日、自宅を出た犯人がアルバイト先へ向かうのを尾行し
犯人が勤めを終えて外に出たところを逮捕したとのこと。
世人を震撼させるような大それたことをしでかしながら
平然と勤めに出てくる犯人の精神状態も不可解ですが
もうひとつ私が不可解に思ったことがございます。



犯人のアルバイト先がどんなところなのか存じませんので
私の指摘はピント外れなのかもしれませんが
もし犯人が昨日、アルバイト先での休憩中や昼休みにテレビを見ており
しかも見ていたのがニュース番組で、そこに自分の姿が映っている
防犯カメラの画像が出てきたらどうなっていたでしょう。
おまけに犯人の同僚なり上司なりも、いっしょにその画像を見ていたなら
どうなっていたでしょう。

「 あれぇ? ひょっとして…… 」
「 まさか…おまえ…… 」
「 お、おい…マジかよ!」

てなことになって職場がパニック
血迷った犯人がサバイバルナイフを使って人質籠城事件……
という不測の事態も考えられましょう。



あるいは犯人が、アルバイト先へ向かう途中の道で
お喋り好きなオバチャン連中と遭遇し

「 ねぇ。ちょっと見てよ、あの人 」
「 あら、いやだ。防犯カメラに映ってた人でしょ?」
「 や~ねぇ~。こんなところで何してるのかしら 」( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )

と囁いているのを見て事態を察し
その場で逆切れしてオバチャン連中に襲い掛かり
更なる凶行を重ねるおそれもあったわけでございます。



今回、そのようなことも無く犯人の身柄が確保されましたので
とりあえずめでたしめでたしというところでございましょうが
警察はなぜ犯人が自宅にいるところ
または自宅を出たところをすぐにつかまえなかったのでございましょう。
もちろん、法的手続きの関係や現場での実務的・技術的な必要性から
即行逮捕に踏み切らなかったとも考えられます。
しかし過去に警察の対応の遅さや不手際が原因で
深刻な事態や悲惨な結果になった事例があるゆえ
私の個人的な第一印象としては不信感や不安感が否めません。



考えたくないことではございますが、ひょっとするとこの事件
一つ間違えれば、思いもかけないような形に暗転していたかもしれません.....

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120524-00000023-mai-soci






怪獣の餌食




お目汚し、失礼いたします。



さる5月22日、高さ634㍍に及ぶ電波塔
東京スカイツリーが業務を開始いたしました。
このスカイツリー、電波塔としての役割のほかに
観光客を楽しませるための展望施設を有し
しかも周辺にはショッピングセンター、レジャー施設などを従えて
さながらちょっとしたテーマパークのような装いでございます。



高さ634㍍の電波塔ということで
これまで首都東京の象徴でもあった電波塔、東京タワーは333㍍
スカイツリーの約1/2の高さでございますゆえ
やや影が薄くなってしまいそうでございます。
しかし私のような昭和生まれの人間にしてみれば
東京タワーの存在感はまだまだ根強いものがございます。



そんな私にとって、東京タワーといえば真っ先に思い浮かぶのは
往年の東宝特撮映画「 モスラ 」( 1961年公開 )でございます。
太平洋上の架空の島、インファント島の守り神モスラに巫女として仕えていた
双子の妖精が拉致され、彼女たちを取り返すべく
モスラが日本にやってくるという怪獣映画でございます。
この映画の中で、巨大な芋虫の姿をした怪獣モスラが
へし折れた東京タワーにへばりつき
糸を吐いて繭を作る場面が出てくるのでございます。



やがてこの繭の中から蛾の姿になったモスラが
成虫として現れるのでございますが
私の脳内では、この映画の中で最も印象に残っていますのは
この、モスラが東京タワーにへばりついて繭を作るシーンでございまして
それが私にとっての東京タワーのイメージとして固まっておる次第。



今思えばこのシーン、高度経済成長の終焉と歪みを
予言あるいは象徴していたものだったような気がいたします。
経済成長による恩恵のシンボルたる東京タワーと
それにへばりついて巨大な繭を作るモスラという怪獣。



今、仮に東京に怪獣が現れ、スカイツリーにへばりついて繭を作るとしたら、
それはどんな怪獣でございましょう。
このところ日本全国で暴れまわっている地震や津波、竜巻に雷雨などの
天変地異でございましょうか。
それとも原発安全神話の崩壊とその影響による電力不足でございましょうか。
政権担当能力の無い政府与党と
建設的な歩み寄りや代案を示せない野党でございましょうか。
お前のものは俺のもの、俺のものは俺のものと申して憚らない
某中華珍民共和国でございましょうか。
老若男女、民間と公務員、同胞や在日外国人に蔓延している
モラルハザードでございましょうか。



スカイツリーは東京タワーの約2倍の高さがございます。
怪獣のパワーも2倍でございましょう.....






Uターン禁止





若い御婦人でございました。



原付に乗ったその御婦人が信号待ちで停止すると
すぐ後ろにダンプが停まりました。
運転手のオッサンが運転席側の窓から首を出して
彼女に何やらネチネチとイチャモンを付け始めます。
交通事故というほどではないにせよ
事前に若干のトラブルが有ったようでございます。



いくぶん動じてはいたものの、その御婦人は
きつい目でダンプの運転手の方をにらみつけるとプイッと前を向き直り
信号が青になるとそのまま原付で走り去って行きました。
ヘルメットのすそから伸びている茶色く染めた長い髪が
風になびいておりました。



気の強そうな御婦人でございました。



ダンプの運転手は、それ以上彼女に絡もうとはしませんで
彼女が去ったのとは別方向にハンドルを切り、走り去っていきました。



たまたま仕事中に車を運転していた私は
交差点の反対側に停まった自分の車の中から一部始終を見ておりまして
何らかのヤバイ事態を想定して警察へ通報することも考えておりましたが
幸いそのような展開にはならず、ホッといたしました.....



続きを読む