秋のモスキート




お目汚し、失礼いたします。



「 暑さ寒さも彼岸まで 」とはよく言ったものでございます。
毎日火事場のド真ん中に居るかのようだったキチガイじみた暑さも
彼岸を過ぎたころから遠慮がちになってまいりまして
夜間はもはや涼やかというよりかは肌寒いような心地になることもある
今日この頃でございます。



そんな季節の移り変わりが感じられるにもかかわらず
どうしたわけか夏場に私たちを悩ませる厄介者
蚊が昨夜、私の自宅の部屋で飛び回っておりました。
地球温暖化の影響でございましょうか
近頃は年がら年中、この小さな吸血鬼によって悩まされることがございます。



蚊といえば米国では今年の夏
蚊を媒介にして西ナイル熱という伝染病が流行し
100人以上の死者が出たそうでございます。
また私どもは少年時代に、やはり蚊が媒介する日本脳炎という伝染病の
ワクチン接種を受けたことがございますし
平清盛を死に至らしめたといわれるマラリアという病気も
比較的耳に馴染みのあるところでございます。



そういった恐ろしい病気を人間にもたらす蚊ですが
夏場に出没するのは当たり前なのでさほど気にはならないものの
季節はずれや盛りを過ぎた頃に見かけると無性に気になるもの。
一匹だけのようなので手で叩いて退治しようとしたのですが
相手がすばしっこいのか私がドン臭いのか、うまくいきません。
そこで私、蚊取り線香に火をつけ、自分の部屋の隅っこに置いた次第。
ところがこれが大失敗の原因でございました。



そのときは夜分遅く
風呂から上がってPCを見ながらマタ~リとしておったのでございますが
やがてウトウトとして眠くなり
すぐそばに敷いてあった敷布団に横になったのでございます。
とたんに睡魔に犯されてしまい
目覚めたときは明け方の5時ごろでございました。
点けっぱなしになっていた蛍光灯の明かりで照らされている室内が
なにやら白く煙っているのに気づき
火事ではないかと飛び起きたのでございますが
よく見ると蚊取り線香の煙でございます。



眠りに落ちる前、秋めいた夜の空気に肌寒さを感じていた私は
部屋の窓を閉め切っておりました。
廊下側のドアは開けていたのですが、それでもかなりの量の煙が室内にこもり
私、蚊取り線香によって燻製にされてしまったのでございます。
しかも風呂上りでシャツとパンツしか身に着けていなかったため
寝冷えを起こしたのか、体がだるく頭痛がいたします。



しまった……と思いましたが、あとの祭り。
しかも今日の午前中、大事なお客様とお会いしなければならないというのに
体調を崩していてはきちんとした商談ができません。
そんなふうに困惑している矢先、やってまいりました。
寝冷えの症状の定番、下痢でございます。
トイレに駆け込んだ私、早朝から派手な音を立てて
排泄活動に勤しんでしまいました。



トイレで用を済ませた後も、体はだるく頭痛はひどく
煙で燻されたせいか寝冷えのせいか存じませんが
何か喋ればセクシーな鼻声でございます。
ドリンク剤か風邪薬でも飲もうかと思いましたが、胃腸が刺激されて
またぞろトイレに駆け込まなければならなくなるのではと心配し
やめました。



しかしこんな体調のままで仕事に出かけるわけにはまいりません。
なんとか薬の類に頼らずに元気を取り戻す方法はないかとあれこれ考えた末
オナニーをやってみれば頭もシャキッとして全身の血流が良くなり
燻製と化した体を活性化して健康な体に戻すことができるのではないかと
性魔術まがいのことを思いつき、NHKの朝のテレビ体操を見ながら
オイッチニィ、オイッチニィ、とヤッておったのでございますが
こすってもこすっても煙さえ出ない始末。
全身を煙で燻されたというのに、なんとも皮肉なものでございます。



結局、ドリンク剤を湯で1/2に薄めたものを飲み、仕事に出かけました。
そしてそれが効いたのかどうかは不明ですが
お客様の前でどうにか醜態をさらさずにすんだのでございます。



人間の血を吸い、恐ろしい熱病を媒介し
50過ぎのオッサンを燻製にしてしまう蚊という生き物。
まことに忌々しいヤツでございます.....






15年前の出会い




お目汚し、失礼いたします。



このところPCの調子がおかしぅございまして
頻繁にフリーズしたり、やたらと動作がのろかったりしておりました。
そこで一週間ほど前、いわゆるリカバリなるものをいたしたのでございます。



おおむね順調に済んだのでございますが
OSのアップデートが大変でございまして
ネットにつなぎ、窓印のサイトにアクセスして
更新のダウンロードを見ておりましたら、その数なんと120個近く。
それらのダウンロードとインストールを全部済ませ
データや設定の復元などをおこなっておりましたら
大方まる一日かかってしまった次第。
昔と比べるとPCの能力は格段に大きくなっておりますが
その分、メンテナンスに時間と手間を要します。



それにしてもPCの発展は日進月歩でございます。
私がPCを初めて使い始めたのは
およそ15年ほど前でございましたが
その頃ちょうどWindows 95搭載のPCが売り出され
大きな話題となっておりました。
私が購入したのは富士通のFMVデスクパワーシリーズの一機種でございまして
ハードディスクの容量がまだ1ギガバイトしかございませんでした。
CMキャラクターとして俳優の高倉健氏が起用されていたのを覚えております。



高倉健氏といえば「 不器用ですから…… 」というセリフで有名でございますが
メーカー側とすればPCの購買層拡大を狙って
「 不器用な男でも楽しめるPC 」というイメージを
醸成したかったのでございましょう。
価格は17万円前後だったかと存じます。
お金を用意した私は日本橋という、東京で言えば秋葉原のような電気街へ行き
某家電量販店の店員のオネーチャンに
「 これ、お願いします 」とデスクトップ型のPCを指差して購入し
自宅まで配達をお願いいたしました。



そのときのオネーチャンの顔は、今もよく覚えております。
背が低くて肌は小麦色、ムチムチした肉付きの良い体に
ミュージシャンの大黒摩季のようなエロい顔でございました。
以来、私は購入したPCを「 摩季ちゃん 」と名付け
起動するときは「 摩季ちゃん、おはよう 」
電源を切るときは「 摩季ちゃん、おやすみー 」
新しいソフトをセットアップするときは
「 そ~れ摩季ちゃん、インストールしちゃうゾ~ 」
と呼びかけておったのでございます。



高倉健氏のように不器用な人間ばかりではなく
私のような不気味な人間にも楽しめるPCだったのでございますが
そんな「 摩季ちゃん 」に4年ほどお世話になったのち
やがてWindows 98を搭載したノート型PCが発売されると私
あっさりとそちらに乗り換えてしまいました。
やはりデスクトップは嵩張りますし
こっそりとエロ画像を見るにはノート型が最適でございます。
以降、PCを3台ほど買い換えましたが、いずれもノート型でございました。



今やPCはデスクトップ型からノート型、タブレットタイプ、スマホと
どんどん小型化、薄型化していっております。
いずれユビキタスコンピューティングの発展とともに
PCもウエアラブル化が進み、衣服やアクセサリーのような形で
誰もが手軽に、身近に使いこなせるようになるのかもしれません。
それが何年先のことなのか、それまで私が生きていられるか
気になるところでございます.....






お目通し、お願いいたします。




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かなり不定期な更新となりますことをお許し願いたいと存じます。






幻のエピローグ




お目汚し、失礼いたします。



学研の月刊学習雑誌「 科学と学習 」といえば
付録の教材が有名でございます。
私と同年代のかたでございましたならば
あの教材を使って水飴や豆腐を作ったり
ニクロム線の付いたカッターで発泡スチロールを切ったりしたかたも
いらっしゃるのではないかと存じます。
残念ながらこの「 科学と学習 」、現在は休刊となっておりますが
付録の教材はもちろん、雑誌に掲載されていた記事や読み物も
私にとっては思い出深いものでございます。



ところで、この「 科学と学習 」という学習雑誌
「 科学 」と「 学習 」という2つのタイトルに分かれており
それぞれ別々の雑誌だったのでございますが
その「 科学 」に連載されていた或る小説に私
非常に深い思い入れがございます。
当時私は小学6年生だったのでございますが
その小説の内容は一言で申せば
アンチユートピア小説のようなものでございました。
おぼろげな記憶ではございますが
ストーリーはざっと以下のようなものでございます。



一人の若者が謎めいた女性と出会いますが
実はその女性は宇宙人だということが判明し
若者はその女性の故郷の星へ彼女とともに訪れます。
不幸な形で文明が発達し
異常な状況に陥っているその星の様子を目撃した後
若者は一人で地球に戻って来てその様子を喧伝するのですが
周囲から精神異常者として扱われた彼は
病院で軟禁状態になってしまいます。
宇宙人の女性からもらった細長いマジックペンのようなものを使って
若者は自分が真実を語っていることを伝えようとしますが
そのマジックペンのようなアイテムの使い方がなぜか思い出せません。
しかし何年か経ったのち、その使い方を偶然思い出して使ってみると
アイテムはプラネタリウムのようなプロジェクターと化して
映像とともに驚くべき事実を語りはじめます……




当時、毎月「 科学 」と「 学習 」両方を購入していたにもかかわらず
この物語がどのような結末を迎えたのか、覚えておりません。
そこで検索をかけてみたのでございますが、私が検索した限りでは
この件に関する記事が掲載されているサイトは、一つしかございませんでした。
そしてそのサイトにおいても、ネタバレになるためでしょうか
結末に関しての詳細な描写は、なされていなかったようでございます。



ただ、作品のタイトルや作者の名前など
作品に関するある程度の情報は得られますし
ストーリーはおおむね私が覚えていたものと同じでございまして
また、印象に残っているシーン
たとえば大怪我をした宇宙人の女性が
手を当てるだけで自分の傷を治してしまったり
女性の乗ってきたUFOがマジックミラーのような構造だったり
そして特に、この物語を締めくくる小道具として登場する
マジックペンのようなアイテムの使い方が
机の上に「 叩いて立てる 」ことだったと記されているのを見たときは
なにやら目頭が熱くなってしまいました。



それほど思い入れの深い物語だったにもかかわらず
インターネットというツールがありながら
なぜ今まで検索をかけようとしなかったのか我ながら不思議でなりません。
たまたまネットサーフィンをしているときに
学研の「 科学と学習 」の記事がヒットして、唐突にこの物語のことを思い出し
検索をかけたわけなのですが
それはまるでこの物語の主人公が
マジックペンのようなアイテムの使い方を思い出すことができず
軟禁状態だった病院で釘を打つ作業をしているときに
「 叩いて立てる 」という使い方を偶然思い出したシーンを連想させ
これまた何やら不思議な感じがいたします。



検索をかけることに思いが及ばなかったのは
きっと少年期の純真無垢な感性や素朴な知的好奇心を忘れ
股間のマジックペンを「 こすって立てる 」ことに
血道をあげていたせいでございましょう。良かれ悪しかれ
人間はいずれ少年時代とは別の生き物になってしまうのでございます。



ともあれ、幻のようだった物語に
その輪郭を付与してくれるような情報が手に入ったのは喜ばしいこと。
しかしこの作品のクライマックス、あるいはエピローグは
私個人にとってはまだ明らかになってはおらず
歯がゆい思いがすると同時に、逆にそれによって
この作品のミステリアスな雰囲気が色褪せないという思いもあり
複雑な心境でございます.....



追記

ちなみにこの作品、「 空想科学小説 」と銘打って
「 ある機械星の話 」( あるきかいぼしのはなし )という題名が付けられておりました。
作者は、行方勇 ( 姓は〝 行方 〟 名は〝 勇 〟 )というお人で
「 ゆきかた いさむ 」とお読みするようでございます。






命の灯




お目汚し、失礼いたします。



「 値切りスト 」として主婦やお茶の間の人気者だった流通ジャーナリスト
金子哲雄氏が今月2日に亡くなっております。
享年41、肺にできた腫瘍で夭折されたとのことで
私もこのかたをテレビで拝見し
スーパーマーケットの店頭販売員のようなその語り口に
親しみやすく微笑ましいものを感じておりました。
周囲に対してきめ細かな心配りをなさるかただったようで
また、亡くなる直前まで仕事をされていたとのこと。
謹んで御冥福をお祈りいたします。



片や人生半ばにして旅立たれるかたもいらっしゃれば
片や90年近くの長きにわたって人生を全うされて亡くなられるかたもおられます。
同じく今月2日、俳優の大滝秀治さんが87歳で逝去されました。
映画やドラマにおいて脇役として欠かせない確固たる地位にあり
紫綬褒章、勲四等旭日小綬章を授与され
文化功労者としても表彰された大滝秀治さんですが
俳優やタレント、脚本家など大滝さんを尊敬する多くの関係者によって
その死を悼まれております。



かなり仕事熱心な俳優さんだったようで
その仕事ぶりは数々の映画作品、テレビドラマなどで花開いておりました。
私にとって特に印象深かったのは、もう30年以上も前になりますが
「 特捜最前線 」という刑事ドラマに出演していたときの姿でございます。
その刑事ドラマにおいて、核テロリストと警察の対決を描いたものがございました。
相手が核爆弾を携行して都心に潜伏しているということで
他の刑事たちやデカ長が慌てふためき、逆ギレし、パニックに陥っているなか
大滝さんが扮する刑事だけが、きわめて冷静な行動と発言をおこなっていたのが
非常にクールでカッコ良く見えたのでございます。
俳優業という現実の仕事においても
きっと大滝さんはそんな感じだったのではないでしょうか。
御冥福を心よりお祈り申し上げます。



人間、誰しもいつかは逝ってしまうもの。
それは私も例外ではございません。
そういった思いは、40代になってから親戚や知人など
身近な人間の訃報を耳にすることが急に増え
またその葬儀に参列する機会が多くなることによって
徐々に強まってまいりました。
私も二親をその時期に亡くしてしまいましたし
親戚や知人の葬式、通夜に行くことを何回か経験し
人間の命の儚さをヒシヒシと感じるようになりました。



葬儀や通夜では故人の御遺体を間近で拝見することがございますが
そんな時いつも思うのは「 死ぬというのは命の灯が消えることだ 」
ということでございます。
死んだ人間は当然ながら、血の気が失せて白くなりますが
それはまるで体の内側で煌々と灯っていた明かりが
消えてしまったかのような印象がございまして
中に入っていた蝋燭の火が消え、かすかに焦げ臭さが漂っている
冷めた行灯か提灯のごときありさまでございます。
命というものが、しばしば炎や明かりに喩えられることを
あらためて納得させられる光景なのでございます。



「 命の灯 」という言葉をときどき耳にいたしますが
その言葉が年々、重みを増していくような気がする今日この頃。
まぁ、昼行灯か月夜に提灯のような私が
さようなことを申し述べるのも恐縮ではございますが.....






仲折れ




お目汚し、失礼いたします。



私の同業者がぼやいておりました。
この前、たまたま取引相手の担当者が出張で出かけていたので
その上司と打ち合わせをしたのだが、まったく話が通じない。
危うく喧嘩になるところだったと。



得意先の社長が嘆いております。
よくある話でございますが、最近の若いやつは何を考えているのかわからない。
特に声を荒げたり、こき使ったりしたわけでもないのに
入社してから三ヶ月で辞めてしまったと。



この前の日曜日、ATMの前で老婦人が困り果てておりました。
お金の引き出し方がわからないと。
手取り足取りお教えしたいのは山々でしたが
第三者から見て振り込め詐欺の一味だと誤解されるような行動は避けたかったので
係員呼び出し用の電話を使うように進言いたしました。



程度にもよりましょうが
「 仲立ちをする 」「 パイプ役を務める 」「 間を取り持つ 」
「 クッションになる 」「 世話を焼く 」といった行為は
人間社会にとって必要なものでございます。
しかし最近はそういった行為が疎かにされ、排斥され
控えめになる傾向があるようでございます。
それは社会情勢や生活環境が複雑化したり
逆に単純化したりしていることの表れでございましょうが
一昔前の日本ではそういったことに心を砕く人が身近に多くいて
お節介焼きなどと揶揄されながらも
それなりに重宝されていたような気がいたします。



私自身、日常生活の中においてお節介焼きになってみようか
という気になる場合がときどきございますが
恥ずかしながら私、朝立ちをする元気はあっても
仲立ちをするほどのエネルギーは持ち合わせておりません。
また、ヒマを持て余している有閑マダムのために
バイブを買って進ぜようという気にはなれますが
個人や団体の間のパイプ役を買って出ようという気にはなれません。
もうそのパターンのネタは飽きたと言われそうなので
このぐらいにさせていただきますが
今の世の中、一番嫌われるのはお節介焼きというのが定番になっております。
孤独だ、寂しいという声が何かにつけて聞こえてくる一方で
お節介焼きが嫌われるというこの風潮は
いったいどうしたことでございましょう。



人のために良かれと思い、間を取り持とうとする人間が
冷や飯を食わされているようでは
そういった仲立ちをする人間の心も途中で折れてしまいましょう。
そしてそういった貴重な役柄を担う人々が減ることによって
生まれてくるものは、不毛な対立と敵意の再生産でございます.....






貧乏神と福の神




お目汚し、失礼いたします。




今日の昼過ぎ、お客様に渡す特注の部品を発注していた鉄工所へ
行ってまいりました。
出来上がった部品を受け取った私は、工場の入り口のところで
鉄工所の社長と世間話をしておったのでございますが
そこへ私と同業の男性が車に乗ってやってまいりました。
やはりこの業者も、特注部品が出来上がったという連絡を受けて
引き取りにやってきたのでございます。



その業者は鉄工所の社長と短く会話を交わした後
私と社長の脇を通り抜け、工場の中へ入っていきました。
応対は社長の息子がしておりましたが、社長の話によればこの業者
かなりの上得意だとのことでございます。
名前を聞けば誰でも知っている大手企業を相手に
何回も仕事を受注しているとのこと。



やがてその業者、出来上がった部品を受け取ると
車に乗って去っていきました。
歳は私より一回り下、40代初めのようでした。
服装も特にパリッとしているというわけではございませんが
その体躯はまるで筋トレでもやっているかのように逞しく
見たわけではございませんが、腹筋もビキビキと割れ
股間にぶらさがっている竿も玉もデカいに相違ありません。
しかも髪の毛フサフサ顔はイケメン、言葉つきは自信に満ち溢れており
いかにも大手企業相手の商売をするのにふさわしいような容貌でございます。



頭頂部が禿げかかり、猫背でボソボソと喋る私とは段違い。
毎月月末近くになると今月の支払いはどうしょうかと悩んだり
価格交渉でたやすく白旗を揚げてしまったり
といったことを繰り返しているような経営者は
自然と私のような貧乏神のごとき姿になってしまうのでございましょう。
一方、当座預金口座に毎日ン百万という金額が飛び交っていたり
常に自分の言い値で商談を決めてしまうことができるような経営者は
まるでスポーツジムで鍛え上げたような肉体を有する
ガチムチの福の神になってしまうのでございましょう。



そんな福の神の鋼のような筋肉に触れて、御利益を授かりたいものでございます。
なお、念のために申し上げますが、私はモーホーではございません.....






嫌譲の精神




お目汚し、失礼いたします。



交渉事における駆け引きのなかで
場合によってはあえて不利な条件を出しておきながら
実質的もしくは結果的にはこちらが得をするように
話をまとめるという手もございましょう。
いわゆる「 損して得取れ 」という手法でございますが
こういったやり方はうまくいけば万々歳、失敗すれば泣きの涙でございます。
私は今まで商売上の取引でこういった手段を使ったことが多々ございましたが
ほとんどの場合「 損して損した 」という結果に終わりました。



こちらが低姿勢に出れば相手も無茶は言ってこないだろう。
こちらがこれだけ譲歩しているのだから
相手もこれで満足して引き下がるだろう……
それはお互いに気心の知れた者同士の理屈でございます。
下手に出れば付け上がり、譲歩されるのが当たり前と思い込むような相手には
そのような理屈は通用いたしません。



今も流行っているのかもしれませんが
私が小学生だった頃、こんないたずらが流行っておりました。
「 おい、ちょっとあれを見ろ 」と何の変哲もない方向を指差して注意を促し
つられてそちらを見た相手に向かって「 アホが見~る~、ブタのケ~ツ~♪ 」
と歌いながらからかうのでございます。
私も何回かやられて悔しい思いをしたのでございますが
最近、仕事上やプライベートでの様々な場面において
この歌が頭の中で鳴り響くことが多くなりました。



私にはズーフィリアの趣味はございません。
それゆえブタのケツなど見たくもございませんし
豚は豚でも海豚の方がまぐわったときに気持ち良さそうでございます。
昨年、イルカとの性愛を綴った写真家の体験記が
米国の方で出版されたそうですが
そんなに気持ちがイイものならば、私もイルカと同棲生活をして
「 イルカに乗った中年 」という手記でも出版しようかと存じます。
もっとも、同じイルカならシンガーソングライターのイルカのような
熟女の方がよろしゅうございましょう。



……ええと、どこまで書きましたでございましょうか。
そうそう、日常生活において「 アホが見るブタのケツ 」という歌を
脳内で耳にすることが多くなったという話でございます。
50を越え、これまでの人生を振り返ってみると
自分は仕事ばかりではなくプライベートな面でも
「 損して得取れ 」というノウハウに頼りきり、失敗を繰り返してまいりました。
損して得を取るどころか、損して馬鹿を見るばかり。
そんな馬鹿を見ることばかりしているうちに、やがてアホになり
ブタのケツを見るようになるほど落ちぶれた自分には、この歌は実にふさわしいと
最近しみじみと感じるようになったのでございます。



謙譲の精神もよろしゅうございますが
「 嫌譲の精神 」を剥き出しにする相手には何の役にも立ちません。
ヘタをするとブタのケツを見る羽目になるばかりか
自分のケツの毛を根こそぎ抜き取られてしまいましょう。
そして挙句の果ては軒を貸して母屋を取られ
よそ者やならず者に財産ばかりか命まで取られてしまうのでございます。



最近のわが国を見ておりますと
国家的レベルにおいても個人的レベルにおいても
そんな風になっているような気がしてなりませぬ.....






ジェットじいさん




お目汚し、失礼いたします。



外国人から献金を受けていたことや
暴力団との交際疑惑の廉で法務大臣が辞任に追い込まれております。
マスコミはこの件について取材をしようといたしましたが
当の法務大臣は体調不良を理由に病院へ入院し
本人から話を聞くことができません。



政治家がマスコミの取材から逃れるために病院に入院するのは
よくあるパターンでございますが
ここ最近そういった手を使う輩が現れなかったため
今回の法務大臣の入院のニュースを耳にして
何やら懐かしい気分がいたしました。
もっとも政治家の中には、そんなオーソドックスな手を使わず
意表をつくようなやり方でマスコミの取材攻勢をかわす者が
いるものでございます。



およそ20年ほど前であったかと存じます。
テレビのニュース映像を見ておりましたら
やはり何らかのスキャンダルで政治家が辞任せざるを得なくなった
という報道があり、国会でしたか議員会館でしたか
どこかの公舎の玄関のところで本人から話を聞こうと
マスコミが手ぐすね引いて待っている映像が流れておりました。



やがてその政治家を乗せた車が建物の入り口の前に止まり
車から問題の政治家が降り立ちました。
入り口の前や玄関の大広間で待機していた
新聞記者、テレビ局の取材スタッフが
その政治家に向かって歩み寄ろうとしたそのときでございます。



60代後半と思われるその政治家が
突如として電光石火のごとき勢いで疾走し
並み居る取材陣をすり抜けて建物内の部屋の一室に
駆け込んだのでございます。
直後に警備員が部屋の扉を閉めてしまったため
マスコミはそれ以上、手を出すことができませんでした。
玄関の入り口からその部屋まで10㍍以上は距離があったはずですが
まるで二、三歩の歩数でたどり着いてしまったような
素早さだったのでございます。



とても人間業とは思えませんでした。
オリンピッククラスの陸上選手ならいざ知らず
還暦は確実に越えている老人が
韋駄天のごとき走りを披露したのでございます。
都市伝説に「 ジェットばあさん 」と申す
超高速で動き回る老婆が出てまいりますが
さしずめこの政治家は「 ジェットじいさん 」といったところでございましょう。



政界には魑魅魍魎が跋扈し、政治家は妖怪だなどとよく言われますが
さもありなんといった光景でございました.....






ケアレスミス




お目汚し、失礼いたします。



インターネット上での犯罪予告事件で
遠隔操作ウイルスの介在に気づかなかった警察当局が
誤認逮捕をしでかしてしまい、問題となっております。
犯罪予告をおこなった書き込みの発信元の情報だけで予告犯を特定し
無関係な人間を逮捕してしまったとのことですが
なぜ警察は遠隔操作ウイルスによる発信元偽装の可能性を
考慮しなかったのでございましょうか。



この手のウイルスは今回の事件が明るみになる前より
すでにその存在は知られており
ちょっとPCに詳しい人間ならば、視野に入れていたはずでございます。
それを完全にスルーしていたというのは
ケアレスミスとしか言いようがございません。
それとも日本警察の科学捜査部門の担当者は、コンピュータやネットに関して
素人もしくはそれ以下の知識しか持ち合わせていないのでしょうか。



以前、毒ガスによる大量殺人を予告し
政府を脅迫して莫大な金額のカネを要求する
犯罪者集団が登場する小説を読んだことがございます。
もう四半世紀ほど前に書かれた作品で
所謂「 ハードロマン 」という類の小説だったのですが
当時その作品を読んだ私はその衝撃的な内容に引き込まれ
手に汗握りながら読んでおりました。



犯人側は数百億にものぼるカネを用意することを命じ
警察は取引の現場で一味の身柄を確保しようと捜査員を大量投入
数多くの警察車両やヘリまで用意し
カネを受け取りに現れる犯人側の人間を追跡するために
完璧な捜査網を敷いて待っていたのですが
取引の時刻が間近になった頃、犯人側から〝 トゥルルルルル~ 〟と電話連絡。
某国にあるどこそこの銀行に用意したカネを「 振り込め 」。
警察も、読んでいた私も〝 ズコ───!〟でございました。



私のような間抜けで注意力散漫な人間ならいざ知らず
世界に名だたる日本警察が
此度のような失敗をしでかすとは何事でございましょうか。
誤認逮捕した無辜の市民には真摯な態度で接して謝罪をおこなった上
元の日常生活を取り戻すことができるように取り計らうことが
必要となってまいりましょう。
そして二度とこのような過ちを犯さぬよう
自戒と研鑽に務めてもらいたいものでございます。






乱文紳士は書く語りき




お目汚し、失礼いたします。



若い頃の私の夢は大衆小説の作家になることでございました。
高校・大学時代から稚拙な小説をチマチマと書き続け
社会人になってからは懸賞小説に応募したり同人雑誌に投稿したりして
30代後半まで夢を持ち続けておりましたが
40代の終わりには、とうとうその夢はまさに幻と化してしまいました。



大衆作家の夢をあきらめた原因は
資質や文才はもちろんでございますが
私が書こうとしていたものは大抵ほかの誰かが書いてしまっている
ということに気付いたのが大きなウエイトを占めております。
新聞の広告や書店の店頭に並んでいる単行本や文庫本を見ておりますと
発想やプロットのユニークな小説が次々と発表されておりますし
また近年インターネットや携帯電話の普及によって
ブログ・ケータイ小説の類が花盛りでございます。
私の考えている発想・プロットなど
とうの昔にどこかで誰かが書籍やwebという形で
公開しているに決まっているという思いは
年々強くなる一方でございまして
また現にそういう事例が何件もございました。



もはや私には書けることが残されていない。
そのような思いから、大衆作家になるということに
積極的な意義を見出せなくなったのでございます。
それにプロの作家ということになれば
書くことでオマンマを食わなければならないわけでございます。
所詮趣味の範囲を抜けきれず、また小説を書くということに
逃げ場所を求めるような傾向のあった私には
その時点でプロの作家としての資格が無いわけでございましょう。
著作権上の配慮だの表現の自粛だの
さようなわずらわしいハードルを越えて行くパワーも
私は持ち合わせておりません。
要するに私にとって作家になるなどというのは
単なる夢想家のおめでたい戯言だったのでございます。



ただ、書くべきことがなくなったということに関しては私
まだ望みを捨ててはおりません。
少年時代に読んだ或る本の中で
某作家がおっしゃっていたことでございますが
自分が書いていたことの大半は
他人がすでに書いてしまったことの焼き直しに過ぎなかった
ということを知り、非常に恥ずかしい思いをした。
それゆえ何か書く場合は
ユニークで面白いものを書くことにこだわってはいけない。
面白いものではなく、自分が書きたいと思うことを書くべきなのだ、と。
おぼろげではございますが、斯様におっしゃられていたかと存じます。



書きたい事を書け

オリジナリティという点で限界を感じた私にとって
この言葉は今も「 書く 」ということに対する
意欲を生み出す源泉となっております。
そしてそのための若さを保つべく

カキたい時にカケ

という言葉をマスターベーションの心得として
常にHな妄想で脳髄をフル稼働させ
回春剤としている今日この頃でございます.....