相対性踊り場






お目汚し、失礼いたします。



とりあえず9月も下旬になりまして
少しずつではございますが涼しくなってまいりました。
これからは秋という行楽のシーズンがやってまいりまして
プライベートでの旅行はもちろんのこと
企業や官公庁でおこなわれる慰安旅行を楽しむ人々の姿が
観光地の随所で見られることになりましょう。



若いころ勤めていた会社で一泊二日の慰安旅行へ行ったことがございました。
バス2台に分乗し、山陰の方の観光地へ総勢100名ほどで出かけまして
夜は地元の旅館に宿泊、翌朝9時ごろに出発して
観光地めぐりと土産物店での買い物を済ませ、帰途に着くという団体旅行でございました。



その二日目の朝でのことでございます。
旅館のロビーで私、旅行カバンを手にしてバスの出発を待っておりました。
出発までに30分以上あったので、まだ他の社員はロビーに降りて来ておらず
私はのんびりと一人でソファーに座って寛いでおりました。
そんな私の隣に初老の上司が腰をおろし
前夜に旅館の大座敷でおこなわれた夕食を兼ねた宴会のことを話し始めたのでございます。



所属部署が別なので、ほとんど会話を交わしたことの無い上司だったのですが
料理やコンパニオンのおねいさんの話を面白おかしく話しますので、つい聞き入ってしまいました。
そんな私の聞き方が親身に見えたのか
それとも慰安旅行中ということで無礼講気分だったのか
かなり差し障りのありそうな話までベラベラと話してくれたのでございます。
そして不意に声をひそめると、とんでもないことを口にいたしました。



「 昨日、この旅館の仲居と一発ヤッたんだよ」



昭和の時代の話でございます。
当時の私、旅館の仲居のオバサンが宿泊客相手に風俗関係の口利きをすることがあると
噂には聞いておりましたが
そのオバサン本人が相手をしてくれるという話は聞いたことがございませんでした。
しかし口利きをするぐらいなら御本人が直々にサービスをしてくれるのもアリだろうと思いまして
まぁ不謹慎なことではございますが、その上司の話を黙って聞いておりました。



上司は声を低くしながらも悪びれることなく話し続けましたが
その話の内容は何とも不可解で奇妙なものでございました。
と申しますのもその上司、お酌をしてくれていた仲居さんを宴会の最中に連れ出し
旅館の階段の踊り場でヤッたというのでございます。
私はてっきり旅館の隅っこか別棟にあるひと気の無い場所で
こっそり事をすませたのだと思っておりましたが、その上司が言うには
私たちが宴会をやっていた大座敷のそばにある階段の
すぐ下の踊り場で宴たけなわの時にヤッたそうでございます。



宴会のとき私が大座敷から出てトイレへ行った際に
たまたま何気なくそばにある階段の方に目を向けましたが
そこから少し下ったところにある踊り場は人間二人が寝転べるほど広くはなく
また料理を載せるお盆、食器やお茶の急須などがいくらか置かれていて
とても秘め事を楽しむ空間的余裕などありませんでした。
駅弁スタイルや立ちバックなら可能かもしれませんが
目の前で小声で喋る初老の男性はどちらかと言えば騎乗位以外はムリのような
小柄で華奢な体型でございます。
「 一発ヤッた 」というのは手コキだったのかもしれません。



それはともかくとして、そもそも不可解なのは
浴衣姿の宿泊客や料理を運ぶ仲居さんが上り下りをしている踊り場で
誰にも見られずに手コキや駅弁、立ちバックをやれるのかということでございます。
そこのところを私、問いただしたのですが
「 間違いない。あの大座敷のそばの階段のすぐ下の踊り場だ 」とその上司は申します。
あわただしく人が行き交っているその階段の踊り場で事に及んだというわけでございます。



そんな馬鹿なと思いました。
そばを他の仲居さんが通りかかれば「 あら、お盛んね 」と声ぐらいはかけるでしょう。
また同じ会社の社員が横を通れば「 係長っ! お疲れっス!」という挨拶ぐらいはするでしょう。
にもかかわらずその上司は宴たけなわのときに大座敷から抜け出し
目を付けていた仲居の一人とチョメチョメした、すぐそばの階段の踊り場でヤッたと申し
それでいて誰にも気づかれなかったと言い張ります。
酔ってたんじゃないですか、どこか別の場所だったのを勘違いして云々と
少し遠慮がちに突っ込んでみましたが、ムッとしたような顔で
「 そんなことはありえない 」とおっしゃられたので
怒らせてはマズいと思い、それ以上突っ込んで訊ねるのはやめました。



やがてバスが到着して出発時刻になりましたが
私とその上司は別々のバスに乗っておりましたので、その話はそれっきりになった次第。
それから四半世紀以上が経ちましたが
あの上司が本当に階段の踊り場で一発ヤッたのかどうか、今もって不明でございます。
とはいえ私、あの上司と同じような年齢に達した現在
何やらあの上司が言ったことを信じてもいいような気がしております。



歌の文句じゃございませんが、若い頃、何だかわからなかったものが
歳を取るとリアルに感じられることがございます。
あるいは今まで見えていなかったことが見えてくるようになるものでございます。
だからと言って、あの上司が話していた仲居さんは旅館に棲み付いていた幽霊だとか
地元で悪さをしまくっていた狐・狢の類にあの上司が「 化かされた 」とかいう
都市伝説みたいなことを信じようというわけではございませんし
あの上司の話は「 階段の怪談 」だなどとオヤジギャグを申すつもりもございません。
私はリアリスト、それもただのリアリストではないシュールリアリストでございます。



みなさんはマウリッツ・コルネリス・エッシャーというオランダ人の版画家の
「 相対性 」という作品を御覧になったことがございましょうか。
手すりの付いた階段と踊り場、大小の出入り口などで構成された不思議な建物の中を
顔の無いのっぺらぼうたちが重力を無視した状態で歩いている様子を描いた版画でございます。
階段と踊り場の裏側にもう一つ階段と踊り場があり、そこでものっぺらぼうが歩いていて
しかも表の階段と裏の階段は空間的に途切れることなく連続している。
そんな絵でございます。



きっとあの旅館の階段の裏側には、もう一つ階段や踊り場があるのでございます。
上司と仲居さんはその裏側の階段を下りるか上がるかして裏側の踊り場に回り込み
他に誰もいないその場所で一夜の夢を見たのでございましょう.....






                                       プロフィール画像2015圧縮前→fg→圧縮→jpg→FC2画像圧縮20150929