仲折れ




お目汚し、失礼いたします。



私の同業者がぼやいておりました。
この前、たまたま取引相手の担当者が出張で出かけていたので
その上司と打ち合わせをしたのだが、まったく話が通じない。
危うく喧嘩になるところだったと。



得意先の社長が嘆いております。
よくある話でございますが、最近の若いやつは何を考えているのかわからない。
特に声を荒げたり、こき使ったりしたわけでもないのに
入社してから三ヶ月で辞めてしまったと。



この前の日曜日、ATMの前で老婦人が困り果てておりました。
お金の引き出し方がわからないと。
手取り足取りお教えしたいのは山々でしたが
第三者から見て振り込め詐欺の一味だと誤解されるような行動は避けたかったので
係員呼び出し用の電話を使うように進言いたしました。



程度にもよりましょうが
「 仲立ちをする 」「 パイプ役を務める 」「 間を取り持つ 」
「 クッションになる 」「 世話を焼く 」といった行為は
人間社会にとって必要なものでございます。
しかし最近はそういった行為が疎かにされ、排斥され
控えめになる傾向があるようでございます。
それは社会情勢や生活環境が複雑化したり
逆に単純化したりしていることの表れでございましょうが
一昔前の日本ではそういったことに心を砕く人が身近に多くいて
お節介焼きなどと揶揄されながらも
それなりに重宝されていたような気がいたします。



私自身、日常生活の中においてお節介焼きになってみようか
という気になる場合がときどきございますが
恥ずかしながら私、朝立ちをする元気はあっても
仲立ちをするほどのエネルギーは持ち合わせておりません。
また、ヒマを持て余している有閑マダムのために
バイブを買って進ぜようという気にはなれますが
個人や団体の間のパイプ役を買って出ようという気にはなれません。
もうそのパターンのネタは飽きたと言われそうなので
このぐらいにさせていただきますが
今の世の中、一番嫌われるのはお節介焼きというのが定番になっております。
孤独だ、寂しいという声が何かにつけて聞こえてくる一方で
お節介焼きが嫌われるというこの風潮は
いったいどうしたことでございましょう。



人のために良かれと思い、間を取り持とうとする人間が
冷や飯を食わされているようでは
そういった仲立ちをする人間の心も途中で折れてしまいましょう。
そしてそういった貴重な役柄を担う人々が減ることによって
生まれてくるものは、不毛な対立と敵意の再生産でございます.....






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