乱文紳士は書く語りき




お目汚し、失礼いたします。



若い頃の私の夢は大衆小説の作家になることでございました。
高校・大学時代から稚拙な小説をチマチマと書き続け
社会人になってからは懸賞小説に応募したり同人雑誌に投稿したりして
30代後半まで夢を持ち続けておりましたが
40代の終わりには、とうとうその夢はまさに幻と化してしまいました。



大衆作家の夢をあきらめた原因は
資質や文才はもちろんでございますが
私が書こうとしていたものは大抵ほかの誰かが書いてしまっている
ということに気付いたのが大きなウエイトを占めております。
新聞の広告や書店の店頭に並んでいる単行本や文庫本を見ておりますと
発想やプロットのユニークな小説が次々と発表されておりますし
また近年インターネットや携帯電話の普及によって
ブログ・ケータイ小説の類が花盛りでございます。
私の考えている発想・プロットなど
とうの昔にどこかで誰かが書籍やwebという形で
公開しているに決まっているという思いは
年々強くなる一方でございまして
また現にそういう事例が何件もございました。



もはや私には書けることが残されていない。
そのような思いから、大衆作家になるということに
積極的な意義を見出せなくなったのでございます。
それにプロの作家ということになれば
書くことでオマンマを食わなければならないわけでございます。
所詮趣味の範囲を抜けきれず、また小説を書くということに
逃げ場所を求めるような傾向のあった私には
その時点でプロの作家としての資格が無いわけでございましょう。
著作権上の配慮だの表現の自粛だの
さようなわずらわしいハードルを越えて行くパワーも
私は持ち合わせておりません。
要するに私にとって作家になるなどというのは
単なる夢想家のおめでたい戯言だったのでございます。



ただ、書くべきことがなくなったということに関しては私
まだ望みを捨ててはおりません。
少年時代に読んだ或る本の中で
某作家がおっしゃっていたことでございますが
自分が書いていたことの大半は
他人がすでに書いてしまったことの焼き直しに過ぎなかった
ということを知り、非常に恥ずかしい思いをした。
それゆえ何か書く場合は
ユニークで面白いものを書くことにこだわってはいけない。
面白いものではなく、自分が書きたいと思うことを書くべきなのだ、と。
おぼろげではございますが、斯様におっしゃられていたかと存じます。



書きたい事を書け

オリジナリティという点で限界を感じた私にとって
この言葉は今も「 書く 」ということに対する
意欲を生み出す源泉となっております。
そしてそのための若さを保つべく

カキたい時にカケ

という言葉をマスターベーションの心得として
常にHな妄想で脳髄をフル稼働させ
回春剤としている今日この頃でございます.....






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