雑多な知恵




お目汚し、失礼いたします。



月初の記事において
ツイッター化させるだの短文記事が続くだのと申しておりましたが
何やら長文の記事を連発させてしまいました。
12月が忙しくなるとの想定でいたのですが
実際のところ、早々に仕事納めのような状況になってしまい
余裕綽々の状態でブログの更新をするハメになた次第でございます。



人間とは身勝手なもので、忙しいときは体がいくつあっても足りないと嘆き
ヒマなときは落ち着きが無くなってイライラしてしまうものでございます。
贅沢を申せば、普段、健康で何も心配事が無いときはヒマな状態がのぞましく
病が原因で死期が迫ったり、大きな心配事や揉め事を抱えているときは
忙しいのがよろしゅうございましょう。



健康で悩みも無いときは、自分のやりたいことができるもの。
逆に病に冒されて余命いくばくも無く
あるいは深刻なトラブルを抱えて精神的に追い詰められているときは
何もやる気が起きてまいりません。
そんなとき、何らかの忙しさに晒されていれば
否応無しに行動を起こさざるを得ず
また忙しさにかまけて死の恐怖や
抱えているトラブルが原因の精神的なストレスを
一時なりとも忘れることができましょう。
そして本人が気づかないうちにあの世に召されたり
いつの間にかトラブルをトラブルと思わなくなっているかもしれません。



もちろんそれは私の個人的な思いつきではございますが
物は考えようと申します。
そしてこういった雑多な知恵の積み重ねが
曲がりなりにもこれまで幾度も人類を絶滅から救ってきたのかもしれません。



乗り越えられない試練を神が人に与えることは無いという言葉が
聖書にございます。
クリスチャンのかたには失礼な言い方かもしれませんが
この言葉も、そういった雑多な知恵の一つではないかと私は存じます.....






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