取り残された少年




お目汚し、失礼いたします。



先日、車を運転中に携帯電話に着信がございまして
車を停めて通話をしておりました。
すぐそばにテナントビルがあり
そのビルの一階から続々と年老いた男女が出てまいります。
杖をついたり歩行車を押したりする老人や老婦人の姿も見かけました。
玄関に立っている若い女性が、そんな老人たちをにこやかな顔で送り出しております。



携帯電話の通話をいったん切り、相手からの連絡を待つことになった私は
車の中からその様子をながめておりました。
やがて大方の老人が立ち去った後に
道路の向こう側に70歳前後と思しき背の低い男性がやってまいりました。



その老人は、大勢の老人たちが出て来たテナントビルの方を
矯めつ眇めつしておりましたが
ビルの前で世間話をしていた老婦人たちが自分の方に視線を向けてくるのに気づくと
プイと横を向き、元来た道を歩いて去っていきました。
トボトボと歩く後ろ姿が何やら哀れみを誘います。



たぶん、このビルの一階で高齢者を集めて何らかのイベントがおこなわれ
その老人はイベントに間に合わなかったのか
もしくは時間を間違えたのでございましょう。
とっくにイベントが終了したところへ遅ればせながらやって来て
ばつが悪くなって自宅へ引き返したのかもしれません。
そう思うとなおさら哀れみを誘いました。



とはいえ、そのビルでおこなわれていたイベント
もしかすると「 催眠商法 」のようなものだったのかもしれません。
あくまでも私の個人的な印象ではございますが
公的な催しでなかったのは確かでございます。
老人たちを送り出していた女性スタッフは
フォーマルなスーツを着ておりましたが
どこか風俗嬢のようなふいんきがございました。
そのイベントに参加や出席ができなかったのは
結果的にその老人にとっては幸いだったのかもしれません。



しかし一方、果たして本当にそうなのかという気もいたしました。
あの老人はこれから自宅へ帰ってどうするのでございましょう。
わびしいアパートで一人住まいか
もしくは鬼婆と化した鬼嫁と二人っきりで暮らしているのかもしれません。
大勢の仲間と一緒にアンチエイジングや健康増進についての話に耳を傾け
イベントのスタッフのジョークやお世辞に顔をほころばせ
お試し品の健康食品をありがたそうに懐に仕舞い込み
年間単位での購入契約書にハンコをついてしまう……
あの老人にとって、騙されてカネをドブに捨てることになっても
それが致命的な金額でさえなければ
それはそれで幸せなひとときとなっていたかもしれません。



「 ハーメルンの笛吹き男 」という童話に登場する
足の不自由な少年のことを思い出しました。
あの老人は正に、あの少年そのものだという気がいたしました。
笛吹き男に連れて行かれず、街に取り残されたのは
あの少年にとって果たして幸せなことだったのでございましょうか。



やがて携帯電話に着信があり
私は相手との話を終えてその場を去ることにいたしました。
それ以上、あの老人のことを思い遣っても、私にはどうすることもできません。
車のキーをひねってエンジンをかけた私は
老人たちを送り出していた女性スタッフをラブホに誘い
ベッドの上でハ~メル妄想に浸りながら
車を発進させた次第でございます.....






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