昼下がりの悪夢




お目汚し、失礼いたします。



私が高校生だったころの
国語の授業でのことでございます。
午後からの授業で
教室全体にはけだるい眠気が漂っておりました。
目蓋が体重よりも重く感じられるほどでございましたが
教師が居る前でその眠気にどっぷりと浸り
机に突っ伏して寝込んでしまうほどの勇気は
生徒たちにはございません。
そのかわり、眠気を紛らわせるために
囁くような私語やお喋りが教室を埋め尽くしておりました。



中には机に頬をくっ付け
目を閉じて夢の世界を彷徨している者も何人か居ましたが
クラスの生徒の半数近くが虫の羽音のような囁き声で
ムダ話に花を咲かせておりました。
一応、私はお喋りもせずに
黒板と国語の担任の男性教師の方を見つめておりましたが
その実、何も見ておらず
ただボンヤリとしているだけでございました。



教材は森鴎外が書いた短編小説「 阿部一族 」でございます。
国語の教師は教室の中をぐるぐると歩き回りながら
内藤長十郎という10代半ばの武士の
切腹前のくだりを説明しているのですが
昭和50年代に生きている10代半ばの平民たちには
退屈で仕方ありません。
やがて教室を覆っていた虫の羽音は
あからさまな人間の会話へと
ボルテージが上がってまいりました。



そのときでございます。
教室内を歩き回っていた国語の教師が
突然立ち止まって言いました。

「 なぜお茶漬けだったか分かるかな?」

内藤長十郎が、切腹をする前にお茶漬けを食するのですが
これから死出の旅に立とうという者が
人生最後の食事をするにあたって
なぜお茶漬けのような簡単な食事で済ませるのか
それを教師は問うているのでございます。



そのとき、教師の近くの席には私を含めて
5、6人の生徒が居ましたが
教師がそばに居るので
さすがにお喋りや居眠りはできません。
黙って教師の方を見ておりました。

「 首の切り口から、食べたものが飛び出るんだよ 」

切腹をするときは介錯人がそばにいて
切腹人が腹を切ると即座にその首を刎ねます。
そのときの勢いや内臓の圧力によって首の切断面から
食べたものが噴き上がるというのでございます。
そのため、豪勢な馳走を食していると
切腹をしたときにかえって醜態をさらすことになるので
武士は切腹の前には食事を控えるか
またはお茶漬けのような地味なもので済ませるとのこと。



国語の教師はそのことを淡々と説明しておりましたが
私を含めた5、6人の生徒は
薄気味悪いその話に眠気が吹き飛び
半ば唖然としたような顔で
国語の教師の話を聞いておりました。
何も知らない他の生徒はお喋りに興じておりましたが
私を含めたその5、6人の生徒のところだけ
重力が10倍ぐらいに増えたような
異質な空間と化しておりました。



私は首の切断面よりむしろ
切り裂いた腹の方が気になりました。
食べたものが飛び出す勢いは
こちらの方が凄まじいのではないかと思ったのですが
なぜか教師はそのことについては触れません。
それがなおいっそうグログロしさや不気味さを醸し出し
何やらひどく気持ち悪ぅございました。



終始おだやかな口調で喋り
特にこれといって目立つところのない
メガネをかけた初老の国語教師でございました。
この教師がなぜあのような気味の悪い話をしたのか
判然といたしません。



ざわついた教室を静めようとしたのかもしれませんが
ならば教室いっぱいに聞こえるような声で
話をするはずでございます。
とはいえ、この手の話を大声で話すと
むしろ興ざめする場合もございましょう。
たまたま近くにいた5、6人の生徒を怖がらせるのが目的で
話しただけなのかもしれません。



けだるい昼下がりの陽射しが差し込む教室に
忽然と悪夢を垣間見せてくれた不思議な先生でございました.....






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