時代の変化




お目汚し、失礼いたします。



先週の金曜日のことでございますが
クルマのラジオから「 風 」の「 君と歩いた青春 」という曲が流れておりました。
ボーカルは伊勢正三でございまして
私ども50代の人間にとっては懐かしい曲でございます。
「 木綿のハンカチーフ 」を歌った太田裕美もこの曲をカバーしておりまして
私はどちらかと申しますれば、こちらのバージョンの方に馴染みがございます。



友だちとしてつきあっていた女性を愛してしまった若者の歌でございます。
若者は友人たちとともに、この女性と友だちづきあいをしておりましたが
若者と友人たちの間に、抜け駆けをしないという約束があったにもかかわらず
若者はこの女性を愛してしまうのでございます。



結局この愛は実らず、女性は若者のもとを去ることとなり
彼女も友人たちも両方を失ってしまった若者が
みんなで和気藹々と過ごした日々を思い出しながら
彼女に別れを告げるという悲しく、寂しい曲でございます。



カーラジオから流れてきた懐かしいメロディに私
ゆっくりとクルマを路肩に停めてから、しんみりと聴き入っておりました。
ところが歌の最後の方で、何やら無粋な違和感が
私の心に忍び込んでまいったのでございます。



歌は

 どうして君は男に生まれてこなかったんだ。君が男だったなら
 こんな悲しくて寂しい思いをするようなことにはならなかっただろうに。

という趣旨の歌詞で終わるのですが
価値観の多様化と申しましょうか、形成外科技術の進歩と申しましょうか
そういった「 時代の変化 」が、歌に対して感情移入しようとする私の
揚げ足を取るのでございます。



「 男と男でも愛し合うことがあるだろ 」とか
「 男同士の痴情のもつれでトラブることだってあるじゃん 」とか
「 男に生まれてきてほしかったのなら、SRSで男になってもらえよ 」とか
もう一人の私が意地の悪いツッコミを入れるのでございます。
そうじゃない、それとこれとは別だろとは思うのですが
懐かしい曲をしんみりと聴いているさなかに
そうやって意識的に否定しなければならないというのが煩わしゅうございます。



時代の変化は若い世代にとってはエキサイティングであり
何かオプティミズムな気分になって
前向きな未来の萌芽のようなものを感じる場合もありましょう。
しかし今の私にとっては、ただ疲れるだけでございます.....






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