楽観病






お目汚し、失礼いたします。



阪神大震災から今日でもう23年になります。
当時、まだ30代だった私は1月17日の未明に起きた激しい揺れと
新聞やテレビ、ラジオなどを通してそのあまりに大規模な被災の様子を見聞きしたことから
かなり精神的にまいっておりました。
震源地から遠かったせいでしょうか、地面がひっくり返ったような物凄い揺れを感じながらも
幸いなことに私の自宅はほとんど損壊しておりませんで、ライフラインもほぼ平常どおりでございましたが
余震を感じるたびにパニックに陥りそうになり、しばらくは四六時中ビクビクする生活を続けておりました。
それから今に至るまで、東北や九州などで大きな地震が起き
また近い将来、南海トラフ巨大地震が起きる可能性が高いなどと言われておりまして
気の休まることがございません。
たぶん、生きている間は私、ずっとこの心配に苛まれることになりましょう。



80年代のバブル時期、よもやこんな不安を感じる生活をすることになろうとは思ってもいませんでした。
何でもない日常が続くことが何よりも幸福だということを今は痛感しているのですが
若い頃、しかもそれがバブル時代となるとそんな日常が幸福だということに気づくことができません。
しかしその後、降って湧いたように起きる大規模な地震や自然災害、突然の大きな事件・事故
グローバルな規模で襲い掛かってくる世界的な経済危機や戦争、テロの脅威を実際に見聞きするうちに
退屈な毎日というのが実はとんでもなく奇跡的なことなのだということを身にしみて感じるようになりました。
また個人的にも、身近な人間の他界や自身の肉体的衰え、経済的困窮
プライベートや仕事上でのさまざまなトラブルを現実に体験することにより
人生や世の中とは無常であり、非情であると感じざるを得なくなりました。



確かにこの世は無常かつ非情でございます。
テレビの医療ドラマなどで、死にかけていた患者が
奇跡的に助かって劇的なハッピーエンドを迎えることがありますが
人間は致死率100パーセントの生き物である以上
医師や看護師に見送られてその患者が病院を無事退院するシーンは
よく考えて見れば実に虚しい場面でございます。
しかし悲しくも不思議なことに人間は
その大半の者が医療ドラマにおいてハッピーエンドを望むのでございます。
そしてまた奇妙なことに人間なるもの、いずれ自分はあの世へと旅立つものだとわかっていても
飯を食い、呼吸をし、働き、遊び、笑い、眠り、目覚め、生き続けているのでございます。
これはいったいどういうことなのでございましょうか。



人間というのは病的な楽観主義者なのかもしれません。
そして決して治ることのないその病のせいで
人間は何かを発展させ、あるいは復興させることができるのかもしれません.....





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