プロとアマの差






お目汚し、失礼いたします。



最近、森村誠一氏のミステリー小説を何作か読みました。
比較的読みやすく、またそれなりにおもしろいのですがちょっと気になるのが
作品によく登場する棟居弘一良という警視庁の刑事でございます。
この刑事、森村氏の作品で映画化もされている「 人間の証明 」において初登場した刑事なのですが
その後も森村氏の作品には長編・短編に主役や狂言回しとしてたびたび登場しているようで
少なくとも私の印象では石を投げれば棟居に当たる、森村読めば棟居現るというありさま。



映画化された「 人間の証明 」で棟居刑事を演じた松田優作のイメージが強いため
小説の方の棟居刑事には私は違和感を感じますが、それはともかく
このように同じ登場人物を自らの作品に何作も登場させるというのは
作家にとっては楽しいことではないだろうかという気がいたしますし
創作のモチベーションを高めるのにはイイ肥やしではないかと存じます。
また何度も登場させることで、そのキャラクターに興味を持った読者や
その魅力にハマったファンが次も読んでみたい、次回作を早く書いて欲しいと願うことになり
作家本人にとっても出版社にとっても美味しいことになりましょう。
現に私も、棟居弘一良というキャラクターに惚れたわけではございませんが
これだけ何度も登場するなら、棟居刑事が登場する作品を
片っ端から読んでみようかと思ったりもいたします。



もっとも、作中のキャラクターが作品の人気の大きなウエイトを占めるようになると
作家としてはその扱いに際して慎重にならざるを得ません。
不用意にキャラの境遇や生活環境、性格や思想信条を変えてしまうと
私のようなニワカや通りすがりはもちろん、熱心な古くからのファンまで遠ざかってしまうでしょう。
そういうことを気にしながら作品を書いていくというのは、さぞかし骨の折れることでしょうし
作家本人が気に入ってないのにもかかわらず、ファンや出版社の要請で
仕方なく登場させているという場合も当然あるでしょう。



作家が同じキャラクターを使って作品を書いていく場合は
こういったファン目線を意識しなければならないことも重要ですが
他にも色々と大変なことがありそうでございます。
たとえば、同じキャラを脇役ならまだしも主役に据えて何作も登場させると
各作品間での厳密な整合性が要求されることになります。



私も以前、同人誌に投稿をしていた頃、一人のキャラクターを主役もしくは狂言回しにして
何作も書くというのをやってみたくて、一作だけその手のものを書いて投稿したことがございました。
吸血鬼を狂言回しにした作品でございまして、3作目までプロットができあがっていたのですが
結局、投稿はおろか書くのさえ断念いたしました。
書けば書くほど資料調べや先々までの伏線の張り方が大変だなということに気づいて
しんどくなったのでございます。
まぁ実際は、某映画のパクリのように思えてきて嫌気がさしたというのが正直なところですが。



このように同じキャラクターで何作も小説を書くというやり方は
楽しみと同時に苦しみを伴うものでございます。
この苦しみが楽しみを凌駕すると、私のようなアマチュアでおまけに筆力の無い人間には
そういった書き方を続けることが困難になってまいります。
おもいっきり変態チックでいやらしいキャラを創造し、そのヒーローもしくはヒロインに
何作にもわたって八面六臂、千変万化、縦横無尽の大括約をさせるという
楽しさ満載な官能小説を書くときでさえ、書いているうちに妄想が膨らみ、股間も膨らみ
そうなると作品を書くこと自体が苦痛となり
作品を書くことよりもマスをかくことを選んでしまうものでございます。



プロとアマの差はまさにココにございます。
すなわち「 作品 」を選ぶか、「 オナニー 」を選ぶかということでございます.....





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