一条の輝き







お目汚し、失礼いたします。



「 大人になっても人生はつらい?」
「 つらいさ 」

リュック・ベッソン監督作の映画「 レオン 」の中で
父親に殴られて鼻血を出したマチルダが
レオンに問いかけるシーンでの二人の会話でございます。
映画の初見の際、このセリフの重さと深みがわからなかった私は
複雑な家庭に育った少女と、都会で息を潜めて暮らしている殺し屋との
単なる通りすがりの会話としてスルーしておりました。



私事で恐縮ですが、子供の頃、大人になれば自分の今の状況
たとえば意地の悪いクラスメートからいじめられるとか
腕力や運動神経が他の男子より劣っているのでいつも馬鹿にされるとか
コミュ障なので浮いているとか、忘れ物が多くてよく親や先生に叱られるとか
そういったつらい思いをしなくても済むのではないかと漠然と思っておりました。
なぜなら自分の身の回りにいる身近な大人たちの中に
そんなつらい状況に陥っている人を見たことが無かったからでございます。



しかしそれは今思えば、私が世間知らずでしかも子供だったからでございましょう。
実際には似たような状況が大人社会においても存在し
あるいは子供社会とは異なった形でのつらい状況というものがあったはずでございます。
そしてそれは今も昔も変わらないでしょう。
大人になっても人生はつらいのだ……五十路を越えた今となっては
それは改めて再認識すべきことでもない至極あたりまえのことなのですが
たまたま某動画サイトで「 レオン 」を見ていたら冒頭のセリフに接して、ハッと気づいた次第。



ときどき、イイ年をこきながら子供時代に戻りたいと思うことがございますが
それは私が子供の頃に抱いていた「 大人になれば 」という浅はかな夢と同様で
戻れば戻ったで、そこにはつらい状況が待っているわけでございます。
今のつらい状況から逃れたい一心で、ついそのような夢想に浸ろうとしてしまいますが
結局、大人になっても子供のときでも
苦手な相手、ダメな自分、厳しい現実は存在しているわけでございます。



では人生とはそんなつらいことの連続だというにもかかわらず
人はなぜ生き続けるのでしょうか。
それは気が滅入るような暗色の光景が続く毎日において
ときおり一条の輝きのようなものが見え
その光が生きる活力となるからではないでしょうか。



それはたとえば素晴らしい人との出会いであったり
生涯をかけて貫き通したい趣味や生き様を見つけた瞬間であったり
相思相愛の結婚とか可愛い子供や孫の誕生、勤め先での出世、事業の成功
学問的な分野での発見や発明などもそうでしょうし
ただ単に見ず知らずの他人から親切にしてもらった
もしくは逆に他人に対して親切にしてあげて清々しい気分になった
あるいは極端な話、道端に可憐な花が健気に咲いているのを見かけたというだけでも
生きる活力となる場合がございましょう。



今朝、便所で用を足した後に尻を拭いたら
これはいったいどうしたことでございましょう。
トイレットペーパーに見事なキスマークが付いておりました。
痔にならないようにするために私、尻を拭くときは
いつもトイレットペーパーを軽くあてがうようにしているのですが
紙を肛門にあてがったときの微妙な当たり具合で
まるで茶色いルージュを塗った女性から
優しくキスをされたような跡が付いたのでございます。 



このところ、陰鬱な気分が続いていた私ですが
その微笑ましいキスマークを見て生きる活力を頂きました。
生きていればこそ、こんなことも起きるのだという一条の輝きを感じたのでございます。
人間とは、きっとこうやって人生を紡いでいくものなのでございましょう.....





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